雑記「ぶえんぷろべーちょ。」

~ 「音楽」「旅」「本」「映画」を中心に、お腹に優しい雑記(備忘録)を綴ります ~

いつもの3人が、いつものピーズとして、いつも通り演奏していました。

6月9日、日本武道館

The ピーズ、結成30周年ライヴ。

 

 

心の底から、純粋に、素晴らしいと思える、最高の3時間弱。

武道館だからって。

その思いは、ピーズを観たときに湧き起こるこれまでのそれと、基本的に何ら変わらないものでした。

 

 

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ずっと観てきたピーズは、いつものように演奏していた ーー ただ、それだけのことだった。

 

 

違うのは、観客の数と、

はるさんとアビさんが、いつもより笑顔が多かったこと。

ふたりを見守る佐藤先輩がいつもより大きく見えたこと。

アビさんのギターの音が抜群に良かったこと。

純度100%の祝祭と祝福が会場を包んでいたこと。

 

 

あと、ピーズにまつわる色々なコトが、ぼくのアタマの中で、いつもより駆け巡ったことだった。

 

 

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ピーズのライヴに行くと、3人を観ながら。演奏を聴きながら。

色々なコトが走馬灯のように思い出される。

それは、19歳でピーズを聴き出して、いま45歳。

25年以上、ぼくの中で、一番大切な存在として居続けるんだから、それは、やっぱり、そうなわけで。

 

 

ーー 93年くらいだったか。

当時ピーズの世界観を真似たようなバンドを組んでいて、メンバー3人と千葉ルックでピーズのライヴを観終わたあと、外に停まっていたピーズの楽器車のワイパーに自分たちの音源を録音したカセットテープと「聴いて下さい」と書いたメモを一緒に掛けたこと。

 

 

"どっかにいこー" の演奏が始まると決まって思い出すのは、ウガンダと、アビさんの、あのときの表情。

スネアが入る最初の「タン」。ぼくが観たライヴだけでも、ウガンダがちゃんと入れず演奏を止めてやり直したのは、2度あった。

2度目は、同じく千葉ルックだった。

ちゃんと入れなかった瞬間、アビさんはギターを爆音のノイズでかき鳴らし、ウガンダを睨み付けた。

プロとしての、お客さんに対する、自覚だったと思う。

はるさんのベースに続いて同じフレーズをもう一度弾き直し始めたとき、アビさんの表情が怒りと情けなさで溢れていたこと。

 

 

ウガンダが抜けて、ピーズがふたりになった、渋谷ON AIR-EASTでのライヴのこと。

大きなステージの中央に椅子を2つ置き、それぞれ座って演奏していた。

中盤から後半にかけて。曲目は忘れてしまったけれど。

ギターソロに入ったとき、アビさんは感情をカラダで示すように、居ても立っても居られなくなったのか、立ち上がって、狂ったようにソロを弾き始めた。はるさんは、そんなアビさんを、穏やかに見守っていた。

その光景を観ながら、ぼくは泣いた。

後にも先にも、ライヴを観てあのように泣いたのは、あのときだけ。

アビさんは、きっと不甲斐なかったんだと思う。ドラムがまた抜け、これからピーズはどうなっていくのか。どうすべきなのか。自分個人としてはどうしていくべきなのか ーー そんな感情がいっきにドバーッと表れた行動だったと、ぼくは勝手に解釈した。

 

 

その後の活動休止。

休止中に発売された全14巻のヒストリービデオを発売日のたびに渋谷HMVに通って買い続けたこと。

 

 

休止から数年後。

真心ブラザーズのサポートベーシストとして下北シェルターに出ることを知って。

奥さんが抽選先の『ぴあ』を十数冊買い占めて見事当選、もう見られないと思っていたはるさんをステージで再び観ることができたこと。

YO-KINGのはからいで、はるさんがボーカルをとってピーズの曲を1曲演奏。

まったく声が出てなくて、そのブランクの長さを目の当たりにしつつも、そのライヴで、きっとピーズは復活する(!)と確信したこと。

 

 

そして、復活。

ロック・イン・ジャパン・フェスティバルでの復活ステージを観るために、仕事をいったん切り上げて、ひとりクルマでひたちなかまで行ったこと。

はるさんの声はまだまだ出てなくて、休止前の調子にはほど遠く、聴きとりづらい歌声だったけど。

そのとき初めて聴いた "グライダー" の、耳の奥底に残り続ける、なんとも言えない余韻のようなもの。

それをリフレインしながら、クルマを飛ばして仕事に戻ったこと。

 

 

日比谷野音での真心も出演した忌野清志郎さんのイベント。

終演後、一般客に紛れて一番後ろの席にYO-KINGと一緒に座って雑談しているはるさんを発見して。

ビール2本買って「お疲れさまでした!」と、勝手にいちファンがふたりに差し入れ。

ビールを受け取ってくれた流れで、はるさんに「佐藤先輩が多忙でしたらいつでもドラム叩きますので!」「あと、野球のメンツが足りないときは呼んでください!」と言って携帯番号を書いた紙を渡して、「お、おー、ありがと」と言ってくれて財布にその紙をしまってくれたこと。

 

 

渋谷AXでの結成20周年ライヴ。

ピーズで叩くクハラカズユキさんを初めてライヴで観て。

ピーズのドラムは巧すぎてはダメ、気が散るようなオカズはダメ、ドラムに耳がもっていかれてしまうような音作りはダメ … ってことが感覚的に解って、佐藤先輩のピーズにおけるドラミングの凄さが身に染みたこと。

 

 

で、30周年、日本武道館 ーー

 

 

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そりゃあ、やっぱり30周年で、武道館なので。

鼻の奥が、ツーンとして、涙がこぼれそうになった瞬間は、もしかするといつもより多かったかもしれない。

 

 

"ノロマが走っていく" という、やっぱり意表を突いてくる一曲目に始まって。

 

 

「せっかくだし 悪いけど 続くよ まだ二人いる」「君と最悪の人生を消したい」と歌うはるさんの嬉しそうな表情。

 

 

「しんちゃんと初めて録音した大切な曲!」と言って始まった "底なし" だったり。

 

 

本編ラストは "生きのばし"、2回目のアンコール、最後の演奏曲が "グライダー" だったことが物語る、佐藤先輩が入ってからの15年の大切さを思い知ったり。

 

 

客電が点いた中での "グライダー" の圧倒的な祝福感。

スクリーンに映し出されたはるさんは涙をこらえていて、お客さんは何人も涙を流していて。

演奏後の、3人手を繋いで円を作ってステージをグルグル回る、感動と笑いのオジサンたちの姿。

 

 

何よりぼくにとって、「今日は演らないのかな …」と思っていた "何様ランド"。

2回目のアンコール、その1曲目。佐藤先輩のドラムが鳴った瞬間、言葉にならない感情が溢れてきて、その感情は全身を侵食していって、「あーやっぱりはるさんにとってこの曲は特別な思いがあるんだろうな」って勝手に思いを巡らせながら、はるさんの声は時々かすれて出てなかったりして、でもその姿がこの歌の世界観をさらに引き立てて、曲の疾走感とともに武道館いっぱいに拡げてくれて、アビさんのギターソロはキレッキレで … そんなゴチャ混ぜになった感情を引きずったまま、客電が点いて "グライダー" が始まるという、このうえない極上の幸福感 ーー

 

 

"グライダー" が終わると、会場には "好きなコはできた" のSEが流れた。

お客さんによる大合唱。夢のような、ものすごい光景。

なんだかその光景を見ていたら、なぜか急に不安になってきて、「えっえっ、もしかして3人のピーズはこれで終わっちゃうのかも??」と、よからぬ思いが芽生えてきた。

「そばにいなくても この世にいなくても」という歌詞。

でも、佐藤先輩は、最後のMCで「また会いましょう」と確かに言った。

でも、でも …、

と不安がっていたところ、先ほどはるさんのブログがUP!

 

 

たまぶくロカビリー風呂愚 6/9武道館

 

 

「31年目 ではまた」

って書いてある!!!

 

 

あーよかった。ホッとした。

ってことで、今回の雑記を書き始めました、と。

 

 

 以上、

唯一の連載雑記(?)、

The ピーズを考えてみる。其の五。」でした。